モテなくても幸せになれる!恋愛だけが幸福じゃないよ
やっと分かったんだ。
まず初めに、俺は人の価値は平等にあると思っている。好きなこと、得意な事は皆んなそれぞれ違って良いし、幸せのあり方だって違って良いと思ってる。
でも、信じきれていなかったんだ。
ここまで来るまでに、二つの出来事があった。
まず一つ目。
高校生になってからかな。一部の物語(アニメでも小説でも)を観るのが嫌になった。
若者が観る作品、そこでは若者たちが恋愛をしている。恋愛とまでは行かなくても、少年と少女が出てきて、何かしら関わる。
それを見たとき、自分にもそれが起こることを願ったり、俺も負けてられない、と思ったりしたりした。
とにかく、俺はあれから純粋に物語を楽しめなくなった。
そしてもう一つの出来事がある。
歳を取るにつれて、周りのヤツらが、恋愛しているかどうか、モテるかどうか、で人を二分するようになった。
理由はわからないが、モテない者の多くが自虐に走った。タチが悪いのは、自分「たち」として自虐することだ。
俺は少ない自信を持つやつとだけつるむようにした。
この二つの揺さぶりがあって、俺の価値観は揺らいだ。
若い日の恋愛こそが一番の幸せで、それが全てなのだろうか、と思うようになった。
そして俺は禁欲の目標を彼女を作ることに変え、服装にも気を使い、引き寄せの法則なども頼るようにした。必死だった。
一時期は焦りや悔しさで潰れそうになり、学校を休みがちになることもあった。
それからまたしばらく経った。
最近、アファーメーションの一環で、理由を考えた。
なぜ彼女が欲しいのだろうか、と
答えは出た。うまく言葉にはできないが、
「誰かが他人がモテない人をバカにしていたり、自分モテないことを卑下していたりするのを聞いても、『ああそうですか、関係ないね』と思えるだろうなぁ。」
というのが俺の本音だとわかった。
願いが叶った後を想像しろということで、
真っ先に思いついたのは、友達に「彼女ができた」と伝える場面だった。
俺は、ただ体裁を気にしていただけだった。
正直昔はモテなくても全く辛くなかった。
物語や、周り、ネットの発言によって、モテないのは辛いことなのか、不幸なことなのか、と考えるようになっていった。
そこで、子供の時を思い出してみた。
確かに、例えば足が速いヤツがモテてたりもしたが、モテないことや足が遅いことで自分を卑下するヤツは俺の知る限りいなかった。
みんな思い思いに好きなことをして、幸せに過ごしていた。
そうだ。子供の時のようなこころを持てばいいんだ。
恋愛をしていなくても、少なくともそれなりに幸せになることはできるんだ!
俺の考えは少しずつ最初のものにもどって来た。
じゃあ、そのためにどうすればいいか、だ。
引き寄せの法則を学ぶ中で、為になる考え方があった。
それは、良い現実があって幸せなのではなく、幸せな気分でいれば良い現実が回って来るということだ。
現実の引き寄せについてはともかく、試してみて、幸せな気分は自分で作れるということが実感できた。
頭の中に楽しい音楽をかけてみたり、口角を少し上げてみるんだ。
嘘でしょ、と思うかもしれないが、一度やってみてほしい。
気づいたらいつのまにか幸せになっている。
ありがとう、と心の中で唱えるのもおススメだ。
もちろん、まだ二つ問題はある。
一つは、やはり他人の考えを聴くと自分の価値観が揺らぐことだ。まだ完全に自分の意見に自信があるわけではないが、少しずつ傷つく時間が短くなってきているので、いつかは嫌な事を耳にしても無視できるようになると信じたい。
もう一つは、もし仮に若いうち、特に中高生の恋愛が現世で最高のことだとしても、高校をもうすぐ卒業するのでほぼ確かめようがないということだ。こればかりは、「いずれ過ぎ去るものだからなくてもいい」と考えるか、それこそ「他のことでもこれ以上に楽しめる!」と信じるしかないのである。
後者の問題は仕方がないとして、とにかく俺は大体の日を幸せに過ごせるようになった。
これからは、たとえ他の人がなんと言おうとも、自分に自信を持ち、楽しく過ごしていくだろう。